2009年12月26日(土) |
内裏というところ(浜松市龍山町大嶺) |
「龍山村史」を読んでいたら、大嶺集落の裏山に「内裏」と呼ばれる場所があると書かれていました。「内裏」は、尹良親王の御在所がここにあったからだと言い伝えられている。また、人家の近くには、「お姿見」と呼ばれる場所もあり、ここから里人が、親王のお姿を仰いだといわれてもいます。いったいどんな所なのか、それらしい何かがあるのか、行ってみたいと思っていました。念願かなって、先日、近くに住む高村さんの案内で訪ねることが出来ました。
尹良親王は、後醍醐天皇の皇子宗良親王の第二子。母は香坂高宗(南北朝時代に大河原城主として征夷大将軍信濃宮宗良親王に忠節をつくした人物です)の娘とされいますが皇統譜にその名はないそうです。しかし、南信濃の旧浪合村にお墓があります。いずれにしても、北遠、南信濃、大鹿村は南北朝時代の歴史の宝庫といえそうです。龍山町の「内裏」にも何か埋もれているかもしれません
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2009年12月6日(日) |
森の図工室 |
森の図工室を開きました。
初冬の龍山町瀬尻新開沢を紅葉を愛でながら、枯れ枝や木の実、落ち葉、ヒカゲノカズラなど、山の贈り物をいっぱい集めて歩きました。
先生は「龍山ふるさと村」の小川倫子さんです。適切なアドバイスを受けて、集めた材料を組み合わせ、それぞれが工夫を凝らしてオブジェ、リース、クリスマス飾りや新年のの飾りを制作しました。
枯れ枝をそのまま、レッゴーの姿に見立てた怠慢な作品を、傍らのクリスマスツリーとフクロウの傑作が何ともおかしな対比で引き立てています。
まだまだ、たくさんの作品が2時間後には出来上がり、皆、大事に持ち帰りました。
思いがけない熱中時間でした。
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2009年11月22日(日) |
「遠州山の辺の道」を歩く |
浜松市(環境部環境企画課・浜北区区振興課)が主催する「遠州山の辺の道を歩こう!」に参加しました。
浜北区の北西の台地や丘陵の裾のには、秋葉街道など、古くからの道が通っていて、史跡や社寺が点在し、豊かな自然景観が残されています。この地域資源をつないだ散策コースを、奈良の「山の辺の道」にちなんで「遠州山の辺の道」と名づけたと聞きました。
今回は、全行程10数kmの一部、約4kmのウォーキングでした。
岩水寺を起点に旧石器時代の根堅遺跡、金刀比羅神社、高根神社、興覚寺後古墳、ゴールの宮口・庚申寺まで、初冬の光を浴びて、心地よく歩きました。
赤佐発展会の「あまざけ」宮口まちおこしの会の「花の舞しぼりたて」味わい深い「庚申こんにゅく」でサンシの虫を払い、酒饅頭をいただきました。
この取り組みが、地域の魅力発信につながることを期待します。 |
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2009年11月6日(金) |
センブリの花 |
久しぶりにセンブリの花に出会いました。浜北区にある大平城址の山道で、アキノキリンソウ、リンドウ、コウヤボウキなどと一緒に、足元を楽しませてくれました。
低山の道脇にいっぱい咲いていたセンブリでしたが、その姿が見られなくなって、久しい時を感じていました。自分が野山に出かけなくなったこともありますが、山歩きの人たちや、山野草ブームで、持ち去られているのかも知れません。
「千回煎じてもまだ苦い」ことから、付けられた名前です。漢方には無い、日本独自の生薬だそうです。胃や腸を活発にする胃腸薬として用いられ、胃痛や腹痛、消化不良など胃腸の不調に効用があるとされています。
センブリの紫に色づいた細い葉を噛み、苦みを味わい、久しぶりの出会いを確かめました。 |
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